旅する医用工学者

医用工学に関するトピックを中心に,臨床工学技士国家試験,第1種ME技術実力検定試験,第2種ME技術実力検定試験に関係する内容についても取り扱います.日々の技術開発や受験勉強や学校の授業の予習・復習にお役立てください.内容の正確性には留意していますが,これを保証するものではありません.

放射線の生体影響

放射線の生体影響

放射線は生体に様々な影響を及ぼす。放射線によって障害を受けることもあれば、放射線によって悪性腫瘍を治療することもある。だが、悪性腫瘍の放射線治療で用いられる放射線のもつ熱量は、カップ数杯のコーヒーの熱量にすぎない。たかだかその程度の熱作用のみで悪性腫瘍が治癒するとは考えにくい。では、何故放射線は生体に多大な影響を及ぼすのであろうか?

そもそも、放射線はそのエネルギを用いて、原子や分子を電離・励起する作用を有する。これによって細胞内のDNAがダメージを受けることが、放射線の生体影響の要因のひとつだ。ちなみに、放射線がDNAにダメージを与える様式にも 2 種類あり、DNAが放射線によって切断される直接作用と、放射線によってラジカル化した水分子がDNAにダメージを与える間接作用とがある。また、DNAダメージ以外にも、組織の変性等、他の機序による生体影響があることも忘れてはならない。

 

確定的影響と確率的影響

放射線が人体に与える影響は、確定的影響確率的影響とに大きく分類される。確定的影響においては、障害の重篤度が線量に依存し、発症のしきい値がある。主たる影響は皮膚炎や白内障などであり、危険度の尺度は吸収線量である。一方、確率的影響においては、障害の発現頻度すなわちリスクが線量に依存し、現在の研究ではしきい値はないとされている。主たる影響はがんや遺伝的な影響であり、危険度の尺度は等価線量である。死に至る放射線障害としては、中枢神経死、胃腸死、骨髄死などの病態がある。中枢神経死は痙攣や振戦、昏睡等の中枢神経の障害によって 1 日以内に死亡するものである。胃腸死および骨髄死については後述することにしよう。

 

放射線感受性と Bergonie - Tribondeau の法則

細胞はその分裂頻度が高いほど、将来の分裂回数が多いほど、形態および機能的に未分化なものほど、放射線感受性(放射線からのダメージの受けやすさ)が高い。これを、発見した 2 人の名をとって Bergonie - Tribondeau (ベルゴニー・トリボンドー)の法則という。

Bergonie - Tribondeau の法則
1. 細胞分裂頻度の高いものほど放射線感受性が高い
2. 将来行う細胞分裂回数が多いものほど放射線感受性が高い
3. 形態的・機能的に未分化なものほど放射線感受性が高い

 

ちなみに、間違えて覚えられることが多いが、Bergonie - Tribondeau の法則は同一の細胞再生系に対してのみ適応できる法則であり、多種の組織間の放射線感受性を比較するための法則ではない

具体的な例を考えてみよう。例えば、原爆の被爆者に最初に現れた症状は下血である。健常なヒトの場合、小腸の絨毛表面を覆っている上皮細胞は腺窩の底部付近の幹細胞が分裂して内腔に押し上げられ、順次分化し、最終的には絨毛先端部から脱落する。この幹細胞は 分裂頻度が高いうえに 将来の分裂回数も多く、さらに未分化なために感受性が高い。したがって、放射線に被曝した場合、上皮細胞が絨毛先端部から脱落しても腺窩で新生しなくなり、粘膜下の腸管壁が自己消化されて下血を惹起するのである。前述した胃腸死の機序がこれにあたる。

さて、LD50/60 (60 日後の半数致死線量)に相当する約 4 Gy の被曝では、主たる死因は白血球減少による感染症、もしくは血小板減少による出血である。骨髄中の造血幹細胞は、全ての種類の血球細胞、すなわち赤血球、白血球、血小板、リンパ球に分化することが可能であることからもわかるように、 放射線に対して感受性が高い。したがって、造血幹細胞が損傷することにより、血球成分の減少を惹起する。前述した骨髄死の機序がこれにあたる。1 ~ 2 Gy の被曝では、中程度の白血球および血小板の減少がみられる。なお、現在では、骨髄移植によってこの障害に対しては治療が可能である。

 

以上のように、放射線が生体に対して与える影響には様々な機序がある。この記事では触れなかったが、被曝する線種によっても、その影響は異なる。本来であれば、線種による生体影響の違いについても解説せねばならないところだが、それに関しては簡単な放射線物理学の知識が必要になるため、別の機会に譲ることとしよう。また、放射線によるDNA損傷については、分子生物学的な説明が必要なのだが、分子シグナリングや細胞周期チェックポイントといった本格的な分子生物学に手を出さねばならないので、初学者には敷居が高い。かくいう著者自身だって、そのあたりのシグナリング経路を記憶しているかと言われればそうではない。学校で習ってから、既に10年以上が経過してるのだ。やはり、こちらに関しても別の機会に譲ることとしよう。