旅する医用工学者

医用工学に関するトピックを中心に,臨床工学技士国家試験,第1種ME技術実力検定試験,第2種ME技術実力検定試験に関係する内容についても取り扱います.日々の技術開発や受験勉強や学校の授業の予習・復習にお役立てください.内容の正確性には留意していますが,これを保証するものではありません.

血液透析における Kt/V の数学的意味

血液透析

血液透析は腎不全患者に対する生命維持管理技術の一つであり、日本国内では多数の腎不全患者が血中の老廃物を除去するために、定期的に血液透析を受けている。血液透析に用いられるダイアライザ(人工腎臓)は、老廃物を分離する機能を有する膜で作られた中空糸を多数束ねた構造を有しており、中空糸内部を流れた血液中から老廃物を分離除去するものである。このダイアライザで起こっている物質除去について、簡単な数理モデルを立てて、それを解析してみることにしよう。

血液透析数理モデル

さて、ダイアライザの物質除去能力は、血液中の老廃物濃度に比例し、老廃物濃度が高ければ単位時間あたりの物質除去量は大きいが、老廃物濃度が低ければ単位時間あたりの物質除去量が小さくなることが知られている。このときの比例定数を K (クリアランス)とおくと*1、老廃物の濃度 C(t) は、

という微分方程式で表すことができる。ただし、立式にあたっては、透析中の体液量変化(除水や代謝水の生成)および透析中の老廃物生成を無視している*2

これは自然科学分野でお馴染みともいえる、変数分離形の一階線形微分方程式である。解くのは比較的簡単であるため、オーソドックスな手法で解いてみることにしよう。勿論、Laplace変換法を用いても構わないが、ここでは言及を避けておく。

 

微分方程式

を変数分離すると、

となるが、おもむろに両辺に積分記号を付して*3

である。両辺の積分を実行すれば、

となる。ただし、D積分定数*4である。

ここで、対数表現を指数表現に直すと、

となり、指数法則より、

となる。ここで、e の D 乗は所詮は定数の定数乗であるから、これを新たに定数 D とおくと、

と書き直すことができる。

これでめでたく C(t) を時刻 t の関数で書くことができたわけだが、これこそが老廃物濃度 C(t) の一般解である。

さて、ここで、積分定数 D の値を決定しよう。

t = 0 のとき C(0) = C0 であるという条件より、

すなわち、

であるから、積分定数 D について、

と求まる。すなわち、与式の特殊解は、

であることが示される。*5

Kt/V の数学的意味

さて、微分方程式が解けたところで、数学的な考察を与えてゆこう。

この微分方程式の特殊解

において、指数部分の Kt/V は、「標準化透析量」ともよばれる指標でもある。

 

分子にはクリアランス K が含まれるが、クリアランスには「単位時間あたりに生成される、老廃物濃度がゼロの血液の体積(クリアスペース)」という意味合いもある。

勿論、クリアランス K に透析時間 t を乗じた Kt は、透析時間の間に生成されたクリアスペース(老廃物濃度がゼロの血液の体積)である。それを体液量 V で除しているわけだから、Kt/V には、「全身の血液を何回完全にキレイにしたか」という意味を与えることもできる……旨の記述が様々な文献にあふれている。

さらに、日本透析医学会の維持血液透析ガイドラインには「最低確保すべき透析量として、sp Kt/V*6 1.2 を推奨する」「目標透析量としては、 sp Kt/V 1.4 以上が望ましい」という記述がある。

doi.org

勿論、この Kt/V = 1.4 は透析関係者の間では有名な基準値だが、この意味を正しく理解することはできるだろうか?

先の表現を借りるならば、「Kt/V = 1.4 ならば、全身の体液が1.4回キレイになるのだ」と考えることができる……らしいのだが、これでピンとくるだろうか?

少なくとも、老廃物濃度がゼロになってしまったら、それ以上キレイになりようもないため、この言い回しはどうも理解しがたいのではないだろうか。

 

このあたりを詳しく考えてゆくにあたっては、先ほど得た微分方程式の特殊解は減衰型の指数関数であり、濃度の変化率(老廃物の除去速度)が一定ではないことが問題になることに気づかねばならない。

 

例えば、Kt/V = 1.0 のときの老廃物濃度を計算してみると、

であり、透析後の老廃物濃度は初期値の約37%になることがわかる。

あれれ……完全にキレイにできていないじゃないか?!

そう、「Kt/V = 1 の透析ならば、全身の体液が完全にキレイになる」というのは、数学的には間違いなのである。

 

また、推奨されている Kt/V = 1.4 のときでさえも、

であり、透析後の老廃物濃度は初期値の約25%にとどまっているのだ。

とりあえず、特殊解として与えられた指数関数

のグラフ(下図に赤実線で示す)を描いてみることにしよう。



t = 0 のとき、老廃物濃度は C0 であることは自明*7だが、ここで t = 0 における C(t) の接線(上図の青破線)の方程式を求めてみよう。

濃度曲線の導関数

であるため、t = 0 のときの接線の傾きは

であることがわかる。よって、接線の方程式 f(t)

である。

ここで、接線が横軸と交わる点、すなわち f(t) = 0 とするための条件を考えてみよう。

であればよいので、

としてやれば、

のときに f(t) = 0 となることが示される。つまり、これは「Kt/V = 1 のとき、透析を開始した瞬間の老廃物除去速度を維持できれば、体液中の老廃物濃度がゼロになる、すなわち全身の体液を完全にキレイにするレベルのクリアスペースを生み出すことが可能だ」ということである。

よって、「Kt/V = 1.4 のとき、透析を開始した瞬間の老廃物除去速度を維持できれば、全身の体液を1.4回キレイにするレベルのクリアスペースを生み出すことが可能だ」というのが正確な言い回しである。

 

Kt/Vについて、単に「全身の血液を何回完全にキレイにしたか」と定めるような言い回しは、あながち間違いではないのだが、現実的なモデルでは成立しえない。Kt/Vは、あくまでも指数関数的な減衰モデルにおける指数部分の絶対値でしかない。「全身の血液を何回完全にキレイにしたか」という言い回しにとらわれてばかりでは、数理モデルの本質を見失ってしまうのだ。

*1:リアランスには、単位時間当たりのクリアスペースとしての意味合いもあり、「単位時間あたりに生成される、老廃物濃度がゼロの血液の体積」と言い換えることもできる。

*2:よって、本モデルによって求められた濃度曲線は、現実の透析のものとは異なる。

*3:左辺と右辺で積分変数が違うではないか、というツッコミを受けそうだが、数学的には問題ない。この操作は本質的には置換積分法にほかならない。

*4:本来ならば両辺に積分定数をつけるべきであろうが、そもそも積分定数は任意に定まる定数であるから、右辺だけに積分定数を付し、それを「左辺の積分定数と右辺の積分定数の差」だとみなせば問題ない。

*5:気づいた読者もいるかもしれないが、実は RC 回路におけるコンデンサの放電特性とそっくりな式の形である。濃度変化の時定数は τ = V/K で与えられることもおわかりいただけるだろう。

*6:single-pool Kt/V

*7:自明というよりもそう定義したわけだが……